レポート① 古渕日菜~コロナ発生から帰国まで(地区青少年交換委員会)
2020年04月27日 (月)
派遣生名:古渕 日菜(スポンサークラブ:池田くれはRC)
派遣国:アメリカ(第6220地区 ウィスコンシン州)
このニュースが日本に報道されて約1週間後の1月末、YouTubeに投稿されていた動画を通じて私はコロナウイルスという名の非常に恐ろしいウイルスの存在を知りました。
私は、ホストチェンジから1か月、アメリカ留学5か月目を迎え、徐々に心も体も、アメリカ生活に慣れ、所属していたダンスの大会、そして美女と野獣のミュージカル等、勉強を含め、様々なアクティビティに没頭し、多くの友達に囲まれながら、忙しく、とても充実した日々を過ごしていました。
その頃の私のコロナウイルスへの認識としては、中国自身の問題であり、他のウイルスのように時間が過ぎると共に消滅し、解決していくものだろうと気にも留めていませんでした。
日本を旅立って以来、日本のニュースに触れたり、聞いたりすることがなく、当時、日本を含め、世界で何が起こっているか知らずにいました。仲の良い中国出身の友達が居たこともあり、それをきっかけにコロナウイルスが日本に報道されるようになった頃から頻繁にニュースをチェックするようになりました。
数日後、新たにコロナウイルスに関するニュースを目にしました。その内容は、当時アメリカで大流行していたインフルエンザ。2019年から2020年、ニュースが報道された当時の2月までの短期間で、2600万人が感染し、死亡者数が1万4000人にも及んだそうです。この数字を受けてアメリカ政府は疑問を抱き、検査を行ったところ陽性者が多数発生していたことが判明。そのニュースを受けてようやくアメリカの国民もコロナウイルスの存在を知り、ウイルスに対しての危機感をもつようになりました。さらには、日本でのコロナ感染者発生、日に日に感染者数が増えていき、アメリカにいて日本の状況を把握出来ていない私は、家族のことが心配で頭がいっぱいでした。このような状況でしたが、アメリカは日本と違い、マスクをする習慣がなく、学校やスーパーに行っても、もちろんマスクを着用している人はいません。これは、改めて日本との文化の違いを突き付けられた出来事でした。
そんな中、3月に入り、1週間の春休みに突入。私は、隣の州に住んでいる、ホストファミリーの祖父母の家に1週間程滞在し、春休みが明ける2、3日前にコロナウイルスの影響で学校の休みが延期することが決定され、春休みの期間も入れて換算すると、4週間にも及ぶ長期休暇。私のホストファミリーが私のことを気遣ってくれていることもあり、近くのスーパーも、外出をすることさえも許されませんでした。休みの間は、部屋で友達と電話をしたり両親と電話をしたり、ですが、やはり話の話題になるのはコロナウイルスの事ばかりでした。一見、毎日家で過ごし、私にとっては何も変わらない生活でしたが、私の周りでは、知らないうちにどんどん状況が変化していき、隣の州が無期限の休校、様々な留学組織の停止、友達の早期帰国、さらにはフライトの減便。トランプさんが都市封鎖したことにより、出国規制に影響しないかどうか。帰られなくなる不安や留学している友達がどんどん帰国してしまうことによる不安が重なり、1人考え込んでいました。
ですが、私は4月からまた学校が再開してくれるかもしれないという少しの希望と、留学プログラムを最後までやり遂げたい気持ち。もうこの先、二度とないチャンスかもしれないと考えると、どうしても手放したくないという気持ち。あきらめたくない気持ちと今を逃してしまうと絶対後悔してしまう気持ち。いろいろな気持ちが私の心の中で混ざり合っていました。また、それに加え、このまま留学を中止してしまうと友達にまで感謝の気持ちを伝えられないままお別れをすることになってしまうのではないかという葛藤から、ロータリーより、帰国をするか留学継続のどちらかの意思伝えなければいけなかった際には不安はありましたが、後悔だけは残したくない気持ちから、私はアメリカに滞在を即決しました。ですがある日の朝、両親からの着信音で目が覚めました。その内容は早期帰国についてのものでした。
その後すぐに2日後のフライトが決定し、心の整理ができないままに荷物をまとめ、残りの時間はホストシスターが大好きなおにぎりやスイーツを一緒に作ったり家族との時間を楽しみました。正直、学校の休みがさらに延期されてしまう可能性、実際の帰国日の6月まで学校に行けなくなってしまう可能性もあったけれど、少しの可能性と最後の希望にかけて予定されていた学校開始日まで待っていたかった事。ここまで頑張ったのは17年間の人生の中で留学が初めてで親元を離れて、日本ではできないたくさん辛いことや大変な経験をしたからこそ今の成長できた自分がいます。
そして、言語も必死になってやっとのことで慣れてこれからもっと楽しめるという時期に早期帰国が決定し、頑張っているものを急に奪われた感じがしました。何度も、なんで今年なのかと嫌に思ったこともありましたが、帰国から2週間経ち、心身共に落ち着いた今、感じることは、感謝の気持ちです。一つは、留学を進めてくれた両親、考え方も文化も食べ物も、ましてや言語もわからない無知の世界に飛び込む勇気がなかなか出せずにいた私の背中を後押ししてくれました。それに加え、ホストチェンジの際等、沢山迷惑をかけてしまいましたが、ここまで頑張れたのは1年間オリエンテーションも含め、留学中も支えてくれた、ロータリーの皆様のおかげです。
長いようで短い留学生活でしたが、まともに飛行機の乗り換えもできなかったことを思い出すととても懐かしく思います。沢山の失敗談、苦い思い出も数えきれないほどありますが、それ以上に私の心は、友達がくれたとても楽しい思い出でいっぱいです。今、こうして留学生活を振り返り、改めて自分の成長を実感していることをとてもうれしく思っています。
1月、2月、3月と40度を超える原因不明の高熱が出て、慣れない土地で命がけの留学でありましたが、精神的にも人間的にも成長でき、沢山の経験、思い出は生きていく上での私の一生の思い出です。