(記録:佐野吉彦)
日程
- 2015年12月4日(金) :RI会長代理夫妻歓迎晩餐会 (リーガロイヤルホテル)
- 2015年12月5日(土) :夢のデュオ・コンサート+式典+特別シンポジウム (大阪国際会議場)
出席者数
- 晩餐会出席:431名
- 大会登録:3613名(2015/7 現在の2660地区会員が全員登録)
- 行事参加申込:2491名
- 大会出席:約1815名
大会運営組織
- ホストクラブ:大阪RC
- ガバナー:立野純三、実行委員長:松澤佑次、ホストクラブ会長:吉川秀隆 他
12月4日(リーガロイヤルホテル)
RI会長代理夫妻歓迎晩餐会
本年はロータリー研究会が午後に東京で開催されており、初日の行事はこの晩餐会からのスタートである。晩餐会のはじめに、立野ガバナーから来賓紹介とともに「おいしい食事と楽しい時間を!」と呼びかけてのあいさつがあった。続いての水野正人RI会長代理(2580地区パストガバナー)のあたたかなスピーチでは、もともと大阪RC会員であるゆえの2660地区への懐かしい想いが語られ、親睦と若々しい姿勢が大切とのコメントがあった。
乾杯に先立つ鏡開きでは、大阪RCの嘉納逸人会員から鏡開きの由来が紹介され、勢い良く樽が開いた後は、泉博朗直前ガバナーの乾杯で華やかに宴が始まった。ロイヤルホテルの宮川栄治シェフが大阪産(大阪もん)の食材を厳選した料理は、浪速野菜も、大阪の赤舌平目も、近畿の黒毛和牛も絶品。さまざまに用意されたワインも魅力たっぷりだった。アトラクションは、関西二期会のメンバーによる、ヨハン・シュトラウスのオペレッタ「こうもり」。19世紀ウィーンが舞台の、華やかな夜会の物語はこの夜にふさわしく、そして見事なアンサンブルが喝采の渦を呼び起こした。
その後、来賓のソウルRCのディヴィッド・チャン会員から、2016年にソウルで開かれるロータリー世界大会のアウトラインが紹介され、<友情と奉仕の精神を高める場所である>との歓迎メッセージがあった。最後は、今年のホストクラブ・吉川秀隆・大阪RC会長から今日のプログラムの総括と感謝の言葉があり、全員で「手に手つないで」の斉唱でお開きとなった。なお、この日の司会は大阪RCの薩摩和男会員と西田ひかるさんで、晩餐会は滞りなくかつ和やかに進行した。
12月5日(大阪国際会議場)
夢のデュオ・コンサート
午前11時。薩摩和男会員の進行によって、大阪交響楽団によるファンファーレを皮切りとして大会2日目が始まった。最初のプログラムは、人気も技量も定評があり、海外で大活躍中のヴァイオリニスト・庄司紗矢香さんと、ピアニストの小菅優さんが、この日のために特別に帰国してのデュオ・コンサートが実現した。個々のリサイタルは日本でもしばしば開催されているが、デュオは非常に貴重な機会である。
プログラム最初のベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第5番<春>では、庄司さんが優美な響きをつくりあげていた。特に第2楽章のデリケートな表現、第4楽章ののびやかな表現が印象的である。 小菅さんはそのデリケートさに呼応する細やかなタッチによってハーモニーを構成していた。小菅さんのピアノの魅力は次のソロでの2曲で十分示されたが、特にショパンのバラード4番では、音の粒をきれいに揃えながら、表情豊かなものとなっている。最後の2曲は両者のそうした品の良い音色が組み合わさり、お互い美質をよく引き立てていた。全体に気持ちのよい後味が残る演奏であった。なお、このコンサートは会員家族・招待青少年にも公開され、多数の来場が実現した(2階席に音が届きにくい点は会議場施設ゆえの課題である)。
ここで昼食。高麗橋吉兆の特製弁当が用意され、午後の部の開始を待った。別途、財団・米山顕彰者の昼食会が設営された。
式典 (前半)
ここから司会は大阪RCの早嶋茂会員と毎日放送の古川圭子アナとなる。ファンファーレ、そして立野ガバナーによる開会点鐘で式典がスタートし、立野年度の活動の発表の場の皮切りとなった。なお、点鐘に先立って「ポール・ハリス劇場」で、大阪RCのM会員によってロータリー活動のはじまりが和やかに語られ、これを受けて現在の国際ロータリーのテーマが映像によって紹介された。一同、ロータリークラブの原点と課題を共有したわけである。最初の松澤佑次・大会実行委員長の開会あいさつでは、歓迎の辞に加え、今大会内容は立野ガバナーが謳う<プレゼント>の意味するものを体現するものだとの話があった。その後、立野ガバナーと司会者から水野RI会長代理はじめロータリークラブ関係のゲスト、各クラブ、出向役員、青少年グループの紹介などが続き、立野ガバナーから地区の現況報告、水野RI会長代理からRIの現況報告がなされた。
立野ガバナーはこれまで、ポール・ハリスが述べた「ロータリーがしかるべき運命を切り開くには常に進化し、時には革命的にならなければならない」という言葉に沿い、皆さんと一緒に地区・クラブを変革し、素晴らしいプレゼントあふれる地区・クラブにしていきましょうと呼びかけてきた。ガバナーの地区方針は「変革を!ロータリーを通じて奉仕(プレゼント)を!」であるが、この日はこの方針をどのようにステップアップするかについての地区現況報告がなされた。「ロータリアンは、世界各地、日本各地での出来事に無関心ではなく、自らが行動を起こす必要がある。傍観するのではなく、今自分が出来ることをいち早く行う必要がある。もっと、日本の将来を担う青少年育成に積極的に関わり、そのためにも時代にあった新しい育成プログラムの開発が喫緊の課題だ」と述べた。そして、各クラブに設置を要請している戦略計画委員会がビジョンを持って臨むべきとした。クラブの存続のために、またロータリアンの原点である高い倫理基準、多様な職業構成などの、ロータリーを形づくった基本にかかわることを会員・新入会員があらためて認識するために、クラブがリーダーシップを取ってほしいというものである。そのほか、IMの再編の検討を始めたいことや、グローバル補助金や地区補助金を積極的に活用して社会奉仕に取り組んでほしいことなど、多面的な「変革」を力強く訴えた。
水野RI会長代理による「RI現況報告」では、RIのラビンドラン会長の方針や言葉が紹介され、ロータリー財団改革がなされたことで奉仕活動の積極的展開が進むであろうことなどが紹介された。そして自身の経験をふまえながら話が進んだ。まずラビンドラン会長の言葉<己の才能は天から授かったもの」ゆえに私たちはその授かりものをお返しする、すなわち限られた時期の中でロータリーの活動を通じて世界にプレゼントする事により、世界に真の変化を起こそう>をふまえて、「人の心を動かすロータリー活動であるべき」と述べた。
さらに、ロータリアンの基本、ロータリー活動にしかない視点が<職業奉仕>であると述べ、「これは日本に古くからある商業道の言葉<売り手良し、買い手良し、世間良し>に通じるものである。高潔で高い道徳観で自らの生業を社会のために発展させるのがロータリアンの使命だ」と解説がなされた。平均的ロータリアンという言葉の定義についても触れ、「ロータリーは、できる範囲のなかでベストを尽くすこと」が大事だと語った。締めくくりとして、教条的でなく弾力的に活動を進めること、My Pleasureという言葉、すなわち喜んで人のために努めることが大事であること、そしていつも肩の力を抜いてのびのびと活動してほしいことを付け加えてスピーチが締めくくられた。
引き続き、信任状委員会(岡部泰鑑パストガバナー)の報告があり、選挙委員会(高島凱夫パストガバナー)からは、山本博史氏へのガバナーノミニー・デジグネート指名などが報告された。決議委員会(松本新太郎パストガバナー)によって以下の決議案が説明され、立野ガバナーが議長となって、原案通り2660地区として採択された。なお、第8号ではIM再編に関して、時間をかけて検討を開始することが、第10号では従来のロータリークラブとは異なる新たなクラブの設立や、各クラブの中長期計画を策定する戦略計画委員会の活動を活発に行うことで会員増強に繋げていくことが、第11号では会員の「My Rotary」への登録によって、世界のロータリーの動きの理解を促進し、クラブの情報を一元管理する「Rotary Central」に全てのクラブが加わってRIと直接連携し、適切な指導・援助を得る事ができるようにしたいことが盛り込まれている。
[第1号]国際ロータリー会長代理水野正人氏に対する感謝の件
[第2号]国際ロータリー第2660地区直前ガバナー泉博朗氏に対する感謝の件
[第3号]災害支援に関する件
[第4号]国際大会への参加を推進する件
[第5号]2014-2015年度の収支決算書を承認する件
[第6号]次年度地区大会開催に関する件
[第7号]次年度の為の研修・協議会負担金に関する件
[第8号]IMの在り方を検討する件
[第9号]ロータリー財団への寄付を通じた奉仕活動とポリオ撲滅を推進する件
[第10号]時代にあった拡大・増強を推進する件
[第11号]ITの活用を通して情報共有を推進する件
休憩の後、辰野勇会員(大阪RC)の横笛(ギター伴奏)とともにチベットの自然の映像が流され、シンポジウムへと移った。
特別シンポジウム:”究極の職業奉仕“ 関西発の医療イノベーション-最先端研究から創薬へ
講演者:岸本忠三・大阪大学名誉教授 (大阪RC・元会長)+本庶佑・京都大学名誉教授
講演者は二人とも世界的なレベルの科学者であり、文化勲章受賞者であり、そして今も現役の研究者である。それぞれの功績は、免疫難病治療やがん治療の基礎研究で自ら発見した分子から特効薬を作ることに成功した、世界でも稀なケース。今回のシンポジウムは、医学の基礎研究がどのように創薬までつながったのかを探る機会である。宮原秀夫会員・大阪大学名誉教授と本田孔士会員・京都大学名誉教授(いずれも大阪RC)が講演者紹介などのコーディネーター役を務めた。
最初に岸本教授から「免疫難病治療―大阪から世界へ」というテーマで基調講演があった。岸本教授は、大阪大学医学部の免疫学教室に学び、抗体産生細胞について研究を重ね、大阪大学での細胞生体工学センターでリーダーシップをとり、先生が発見されたIL-6分子が、多くの疾患の発症に関与していることを解明するに至った。そして、IL-6の抗体(アクテムラ)を疾患の治療に応用し、リウマチを始め多くの難病に苦しむ世界中の人々を救う効果につなげたというわけである。講演の最初に、3つの抗体医薬がそれぞれターゲットとした疾患と、もたらした成功例がそれぞれ紹介された。
抗体素の発見が1890年で、抗体工学技術の確立が1986年、抗体医薬の発売が2001年という歴史があるが、既存の関節リューマチの薬では限界があった時期と比べれば、現在はアクテムラが開発されて免疫難病に対して有効に機能する段階に発展したという。岸本教授は、こうした研究分野では次世代の人材を育てることが最も意義あるものだと語り、その結果として薬の開発につながるのがよいと感じている。その理由から、自ら取り組む姿を次世代に見せることは重要と考えている。
続いての本庶教授の基調講演は「がんは治る:がん免疫治療薬PD-1抗体」というテーマである。同じように、免疫制御する遺伝子を解明してきた本庶教授は、免疫力を活性化すればがん治療が可能であることを発見し、PD-1抗体ががん治療薬として承認されるために尽力した。本庶教授の視点はがん抗原療法と免疫細胞活性化療法、インターフェロンなどの免疫活性化法がアクセルを踏み込むやりかたとはまったく逆で、PD-1が免疫反応のブレーキになっていることに着目し、こうしたブレーキを効かなくする、抑制法であるのだという。従来の抗がん剤ではがん細胞の形質の変化に対応できなかったが、PD-1抗体治療はすべてのがん腫、あらゆるステージに有効である。PD-1分子発見が1992年だったが、2015年には日本では皮膚がんのための治療薬の承認というところまできた。ドラマティックではあるが、この歩みは、自分が基礎研究を着実に進めるなかでめぐりあった<偶然の発見>が動かしたものだと述べた。
講演に続いたトークで、岸本教授は、明治以降の日本が大学の基礎研究を重視したことが日本を発展させ、ノーベル賞受賞者を輩出する成果を生んだとする。役に立つ研究であったというのは、長年取り組んだ結果であって、役に立つことを目指してきたわけではない、とも語った。本庶教授が京大の機構改革のなかで再生医学研究所を設立したことも後年、iPS胞研究の充実につながったと本田コーディネーターから紹介がなされた。
分野によって課題が違うかもしれないが、特にライフサイエンスでは最初に成果が見通しにくいので、いろいろな可能性を試すことが非常に重要だと本庶教授は語っている。ある程度それぞれが好きなことに熱中する一見無駄に見えることが大きな成果につながるのではないか、ということである。それゆえに、すぐに結果を求めるのではなく、長期的視点による投資、政府や企業による基礎研究へのバックアップの動きがほしいと述べた。異なる産業が連携して発展してきた近代大阪は、それを可能にする土壌があるかもしれない、というのが「究極の職業奉仕」を標榜するこのシンポジウムのひとつの成果だった。
式典 (後半)
後半は功績に対する表彰式から始まり、水野RI会長代理と立野ガバナーから受賞者に手渡されたあと、明年ソウルで開催されるロータリー国際大会が映像によって紹介された。そして、立野ガバナーは、松本進也ガバナーエレクト(大阪北RC)・片山勉ガナバーノミニー(大阪東RC)・山本博史ガバナーノミニー・デジグネート(大阪南RC)を親愛の情あふれる言葉で紹介し、それに応えた決意のあいさつへと続いた。また、地区大会の次期ホストクラブを大阪北RCが務めることが発表され、同クラブの原眞一・次年度会長から歓迎の言葉があった。
主な行事がほぼ終えたところで、水野RI会長代理からは講評として「大好評」との掛け言葉での一言があり、大会全体の設営への感謝と、2日間のアテンドを務めた岡部PG夫妻への感謝の言葉があった。そして参加者全員に向けて、100年を迎えようとしている日本のロータリー活動は、われわれ自らが15歳若返る意識で取り組めばより活性化するはずだ、とのエールを頂戴した。この後水野RI会長代理と泉・直前ガバナーへの記念品贈呈へと進んだあと、ホストクラブの吉川秀隆・大阪RC会長から、ロータリー研究会と日程が近接しながらもかけつけていただいた遠来のゲストに感謝の言葉があり、ホストクラブとして「良いプレゼントができたと思う」と締めくくり、一日の幕を閉じた。最後まで多くのロータリアンに参加を得た、ロータリーの友好の精神を感じる2日間であった。